失われた日本独自の糸〜『糸〜織〜製品』のトータルデザインとしての装束〜

 -能装束に残る糸・織りを学ぶ-

 

回が進むごとに能への興味が湧きだす、伝統美研究・宝生流能ゼミ。先日、第3回目が開催されました!

 

今回は、国立文化財機構 東京文化財研究所 無形文化遺産部に所属の菊池理予氏による、『能装束から見る、日本独自の技術による絹糸・生地の織り』についてのレクチャー。

 

もともと服飾の学校ご出身だという菊池さんのご紹介に、皆さん親近感を抱いたところで、ゼミがスタート!!^^

 

菊池さんは、現在残っている歴史ある能装束から、日本古来の糸や生地の製作技法を研究されています。

今も変わらず伝統を引き継ぐ能は、こんなところでも活躍しているのです。

 

初めに着物を作り出す、『絹糸』がどうやって作られていたか。

菊池さんは長野県にある絹織製作研究所の志村明氏のもとで昨年から調査を始めており、今回はそこで学んだ絹についてお話しをしてくれました。

例えば、産業革命以降の技法と、江戸時代以前にしていただろう技法やその結果どのようなものになるのか、様々な違いについてなど。

 

アヘン戦争以後は、西洋への輸出が増えた日本の絹糸。

これは、アヘン戦争により混乱した中国からの絹の輸出が難航し、また、フランス南部で起こった蚕の幼虫がかかる病気『微粒子病』が蔓延がきっかけだそう。

そうして技術が発展した日本の絹糸。ちなみに、輸出された絹糸は国外ではストッキングやジャガードに使用されていました。

 

糸の製造方法について、昔と明治以降の製造方法には違いがあるようです。昔の技術は糸に対して極端な力を加えないため、機械技術が発達した産業革命以後に作られたものとは質感等が異なるようです。

また糸を繰る際に、繭に含まれるセリシンが接着効果を発揮して、お湯につけると糸が繰れるなど、理にかなった手法や蚕そのものの存在にただただ驚くばかり。

 

糸の作られ方を教わったところで、能装束から調査した絹織物についてのレクチャーです。

現代の技術はとても発展しており、衣装を解かずに断面計測できる機械があるとのこと!(すごい!)

そのような技術を活用して、菊池さんたちは歴史からその当時の作り方や材料などを紐解いているのです。

能装束のいいところは、”今でも使う人がいて、尚且つ昔の文献や実物の衣装も残っている”ところ。

菊池さんは、

『使う人も、使う技も、作る技術もちゃんと残って欲しい。』

という思いで、能装束の研究をなさっているそうです。素晴らしいですね。

今でも使う人がいるからこそ、伝統的な作る技術もちゃんと受け継いでいきたいですね。

もちろん私たちも発想のアイデアとして着目していきたいですよね!

 

技術進歩とアナログな手法のどちらがいいのか?

現在と、昔の衣装でも明らかな違いがありました。

それは『重さ』

演者の方達から声が上がるとのことなのですが、江戸時代までは軽かったそうですが、やはり明治の産業革命以降に作られたものは、ずっしり重みがあるとのこと。そのような使い心地の変化が如実に現れているのです。

また、今では能装束屋さんとして1つのお店に様々な衣装を取り扱っていますが、昔は衣装屋さんの分類も細かくされており『水衣屋』『唐織屋』『熨斗目屋』と、専門店としてそれぞれも衣装を扱っていたそうです。

やはり、それだけ層が厚かったということでしょうか。

 

ちなみに、能装束の役によるコーディネイト。

能装束は高貴な人の役柄となると、透け感のある羽織物を着るなどし、高貴な方感を演出していたのだとか。また、裏地がついている・いないでも使い分けていたそうです。

ネットでも能絵鑑を調べてみるとよくわかるのですが、”透け感”が当時の表現方法として使われていたのですね。

こういう部分から能を見ると、さらに興味が湧いてきます!!

 

最後に、

『こういうものを使ったりもして、衣装の織りの組織を見たりもしています』

と、持ち運びできる顕微鏡デジタルカメラと、ミニ顕微鏡を使わせてくださいました!!

超至近距離で生地の表面が見ることができるこのカメラ。

『これは平織りだね』

などなど、受講生の皆さんも興味津々で覗き込み、自分たちの洋服で織り組織を実際に確認していました。

 

日本には、このように素晴らしいファッションのアイデア要素がたくさんあります!

これからデザインをするとき、生地を作るときなど、昔ながらの理にかなった伝統技法や当時のアイデアなどを創作のアイデアにしても、また新しいモノが生まれてきそうですね。