いま、ヨーロッパを中心に、ファッション産業のルールそのものを変える大きな動きが始まっています。
その中心にあるのが、ESPR(Ecodesign for Sustainable Products Regulation / エコデザイン規則)と、DPP(Digital Product Passport / デジタル製品パスポート)です。
少し難しそうな言葉に聞こえますが、本質はとてもシンプルです。
これまでの服は、「どこで、誰が、何を使って作ったのか」が見えない“ブラックボックス”でした。
しかし今後は、服1着ごとに「情報」を持たせ、その履歴まで追跡できる時代へ変わろうとしています。
つまり、服は単なる「モノ」ではなく、“情報を持つ資産”になっていくのです。
DPPとは何か?
DPP(Digital Product Passport)は、日本語では「デジタル製品パスポート」と呼ばれます。
簡単に言えば、
どんな素材でできているか
どこで生産されたか
どう修理されたか
誰が所有してきたか
といった情報を、製品ごとに記録していく仕組みです。
EUでは、ESPRという新しい制度の中で、このDPPの導入が進められています。
特にテキスタイル(繊維・アパレル)は、優先対象分野として位置付けられています。
参考:
European Commission - ESPR Overview
European Parliament - Digital Product Passport
なぜ今、DPPが必要なのか?
理由は、現在のファッション産業が「大量生産・大量廃棄」を前提に作られてきたからです。
例えば、多くの服は、
素材情報が曖昧
生産背景が見えない
廃棄後の行き先が不透明
という状態になっています。
その結果、
「リサイクルしたくても素材が分からない」
「中古として売りたくても品質が保証できない」
という問題が起きています。
DPPは、この“情報の欠損”を埋めるための仕組みなのです。
アパレル産業は「データ産業」へ変わる
DPPが本格導入されると、ファッション産業の競争軸そのものが変わります。
これまでは、
ブランド力
デザイン力
販売力
が中心でした。
しかし今後は、
どれだけ正確な情報を管理できるか
サプライチェーンを可視化できるか
製品履歴を追跡できるか
といった「データ力」が重要になります。
つまり、
「良い服を作る」だけではなく、
「情報付きで服を設計する」ことが求められる時代になるのです。
古着市場はむしろ拡大する
面白いのは、DPPによって古着市場が縮小するどころか、むしろ成長すると考えられている点です。
なぜなら、DPPによって、
真贋保証
修理履歴
使用履歴
素材情報
が見えるようになるからです。
つまり、中古品が「よく分からないモノ」ではなく、
“履歴付きの認証済み資産”
として扱われるようになります。
これは自動車の中古市場に近い感覚かもしれません。
「情報がない古着」はどうなるのか?
一方で、大きな影響を受けるのが、情報のない一般古着です。
これまでの古着は、
素材不明
生産背景不明
品質保証なし
というケースも多く存在していました。
今後は、「情報がない」ということ自体がリスクと見なされる可能性があります。
ただし、すべての価値が失われるわけではありません。
例えば、
ヴィンテージとしての文化的価値
バイヤーの審美眼
スタイリング提案
リメイクによる再編集
など、“物語”によって価値を生み出すことは可能です。
つまり未来の古着市場では、
データを持つ服
ストーリーを持つ服
この二つが重要になっていくのです。
日本の産地にとっては大きなチャンス
この変化は、日本の繊維産地にとっても重要です。
例えば、
尾州
桐生
播州
など、日本には高い技術を持つ産地が数多くあります。
これまでは「良い素材を作っている」だけだったものが、
どんな原料を使い
どんな工程で作り
どんな技術が使われているか
をデータとして証明できるようになります。
つまり、日本のクラフトマンシップが“情報付き価値”として世界に伝わる可能性があるのです。
DPPは「環境規制」ではない
ここが最も重要なポイントかもしれません。
DPPは単なる環境対策ではありません。
本質的には、
「服の情報を誰が持つのか」
「誰が流通を設計するのか」
という、産業構造そのものの変化です。
これまでのアパレルは、「売ったら終わり」のビジネスでした。
しかし今後は、
修理
再販
リサイクル
レンタル
まで含めた、“循環型ビジネス”へ変わっていきます。
服は「消費財」から、「循環する資産」へ変化していくのです。
これから必要になる人材とは?
この変化の中で、ファッション業界に必要な人材像も変わります。
今後求められるのは、
デザインだけできる人
ではなく、
情報設計まで理解できる人
です。
例えば、
LCA(ライフサイクルアセスメント)
サプライチェーン設計
データ設計
循環型ビジネスモデル
などを理解した人材が重要になります。
つまり、これからのファッション教育は、
「服を作る教育」だけでは足りません。
「価値を循環設計できる教育」
へ進化していく必要があるのです。
最後に
DPPによって変わるのは、単なる制度ではありません。
「服の価値とは何か?」
その定義そのものが変わろうとしています。
これからの時代、価値を持つのは、
情報を持つ服
履歴を持つ服
物語を持つ服
です。
ファッションは今、大きな転換点に立っています。
そしてその変化は、単なるアパレル業界だけではなく、
デザイン、教育、テクノロジー、循環経済まで含めた、新しい産業の形へつながっていくのかもしれません。
執筆:木内 潤一